としよりのひやみず2023-12-02T17:41:28+09:00kanreki0401喜寿迎えた年寄の戯言Excite Blog ようやく、心も落ち着き整理が できました。 思いつくままに軍治郎への 惜別の言葉を書き殴りました。 長文、駄文ですが読んでやってください。 http://kanreki040.exblog.jp/33646266/2023-12-02T17:24:14+09:002023-12-02T17:41:28+09:002023-12-02T17:41:28+09:00kanreki0401日々のなにげない出来事
〜柩の中の君はおだやかだった。「シゲ!何しに来たんや?」と声をかけてくれそうやった!悲しいというより真底寂しい、くやしいよ!
初めて君と言葉を交わしたのは大学2年の春、クラブの同期、新2年生の親睦会。その後の3年間、妙に気が合ったのか家族といる時間より長い時間毎日を過ごしたようだった。
卒業に際して「お互い、一生の友やで!」と言ってくれたなあ!ここだけの話、ひょっとしたら、君がおにいさんで俺が弟、兄弟になっていたかも?(これは内緒?)
卒業後も週末に梅田や難波を飲み歩き、ゴルフに明け暮れ、恋なんてする間がないなあ、なんての毎日やったのに裏切りものめ!ある日突然べっぴんの才気活発なお嬢さんを紹介、そして婚約。その後は俺より早く結婚、子供も早くに、それも1人多く授かりといつも、一歩も二歩も前を歩いていたなあ?
友情と呼べるほど綺麗ごとではないけど「腐れ縁」かなあ、とお互い自嘲気味に笑いながら付き合っていたよなあ。俺の結婚式の司会進行を引き受けてくれて見事に盛り上げてくれたよなあ。その時の色紙におまえは「やっぱり、俺の嫁はんが一番や!」と憎まれ口たたいていたなあ?ゴルフを兼ねて子連れの家族旅行もしたなあ!あの時、何処に行くにも放さないタオルを咥えていたよちよち歩きだったゴーちゃん、恰幅よいお父さんになられた長男さんが通夜、告別式に見事な挨拶をされ立派に喪主としての役割りを果たされましたよ。おまえに見せてやりたかった。
俺が3日だけおまえより先に旅立つから通夜に「涙を2つ以上とJim ReevesのDear hearts and Gentle peopleを流してくれよ!」とおまえには頼んでいたけど?その約束を果たさずに俺を裏切りやがって、「なにが一生の友や!」と--愚痴ってるよ。
齢80.いままで、数えきれないくらいの葬儀に出席してきたが、一番心あたたまる葬儀だったよ。なんといっても、10人のお孫さんが羨ましいくらいおじいちゃんを「グンじい」を慕っている事が俺にわかったから!
まだ、俺は受け入れていないよ!「おい、エエ店見つけてん、○曜日空いてるか?」という電話を待ってるで!
俺より早く結婚し、俺より早く子を授かり、俺より早く多くの孫に恵まれ俺より早くホールインワンを達成したがなにもよりによって俺より先に早く「逝く」ことはなかったやろ!
竹内まりやの「人生の扉」が通夜、告別式の始まりに流れていたなあ。I say it’s fine to be 60You say it’s alright to be 70And they say still good to be 80But I’ll maybe live over 90
90歳は無理やから、もうすぐ俺も逝くから、「旨い酒」と「綺麗なねえちゃん」用意しといてや!君のこよなく愛した奥様の情報もいっぱい仕入れとくわ。
出会えてよかったよ!本当にそう思う!楽しかったなあ、おまえとつきあえて!ありがとう!感謝してるよ!おまえの写真を側に晩酌してる。グン、シゲと呼びあいたいなあ!また逢おうな?その時まで元気でな?
また、いつか会えるといいなあ!]]> 八十路を生きています。 http://kanreki040.exblog.jp/33284301/2023-07-29T09:03:09+09:002023-07-29T09:04:07+09:002023-07-29T09:04:07+09:00kanreki0401日々のなにげない出来事
六十路から,七十路にはいったとき右膝に不具合が生じ二十代から続いてきた、唯一の趣味のゴルフを断念し老後の生活が激変しました。
七十路から八十路に入った時は、はてさてどうなることかと、「覚悟」していました。
やはり,体力の激減、気力の喪失感じて居ります。自覚しています。父親は六十路還暦に、母親は八十八の米寿に亡くなり、九十路を迎えては居りません。5人兄弟の末っ子です。長兄は80歳で亡くなり、長女は米寿を迎えることかなわず、次男は90歳、三男は89歳で天寿を全うし、80歳の私ただ1人取り残されました。我が寿命も、「残り十年以内」と,覚悟しています。
振り返ってみるに、私は戦中生まれながら戦争の悲惨さを知りません、が戦後の貧しさはかなり鮮明に記憶しています。鼻をつまんで飲んだ脱脂粉乳、芋ばかりの芋粥、砂糖の代用品のサッカリン、etc?頭からDDTをぶっかけられました。一方、日本が見事に復興し、豊かになって行く姿を目の当たりにしています。
どん底の敗戦」から、世界に冠たる、「富裕長寿国」の世界までをも、観てきました。生きてきました。バブルを享受しその谷底も知りました。
皆さん、お元気ですか?
同期、同級生の訃報が、最近続いています!
その一方では、90歳代の人達の、活躍の報に接し、「自分は、未だ未だ、若いのだ!」とも、思う日々です!
傘寿の今、『 自分は、学びながら、坂を登っているのだ! 』と、自覚しています。要は、「無理せず、マイペースで、日々を、過ごしていくこと」で、ありましょう。
これこそが、「傘寿の特権」では、ないでしょうか?
]]> 柩の中の君はやっぱり綺麗だったよ。 悲しいというより真底寂しい。 http://kanreki040.exblog.jp/33171657/2023-06-14T00:06:25+09:002023-06-14T17:35:23+09:002023-06-14T17:35:23+09:00kanreki0401日々のなにげない出来事
享年81.大阪の府立高校の同級生。本当は俺が先に逝く予定のはずだった。俺が死ぬ時、「涙を2つ以上とJim ReevesのDear hearts and Gentle peopleを流してくれよ!」と卒業式で君には頼んでいたよね。
同じクラスの仲間、君は文芸部、俺は放送部。3年間不思議なことに同じクラス、、、?放課後毎日自称落ちこぼれ数人が下校のベルが鳴るまで、部室でだべっていたね!スマイリー小原のヒットパレードから武者小路実篤の「友情」というジャンル、勿論教師の悪口まで盛り上がってワイワイガヤガヤ!口角泡を飛ばして喧々諤諤青春してたね!
君は現役で有名お嬢さん女子大、私は見事に浪人生活。卒業後、自然に音信不通になり疎遠になった。同窓会で久しぶりに再会した時、君は大学3年、俺は2年、すっかりおとなのレディーでなんか気後れしたよ。ますます綺麗になった君は眩しかった!昔に戻り屈託なく話し出来なかった。よそよそしく、「元気!」と。「元気か?恋人できたか?」と無駄口はたたけなかった
骨揚げ後、帰阪し君と初めて飲みに行ったセラバーであの時のように生ハムとメロンとオールドパーではなくジントニックで君を、君とのことを思いだしています
友情と呼べるほど綺麗ごとではないと、うすうす感じてはいたけどね、清水の舞台から飛び降りて告白した俺のプロポーズを笑って一蹴、「一生の友でいようね?」と言って別れたのは俺が24歳、君が25歳の夏だった。それから1年も経ないうちに「お見合いしました。来年春に結婚します。」との便り。その後、10年振りの同窓会で会った君はタバコを吸っていたね。「タバコ吸ってやんねん?」と。あの時、何気なく聞き流したが何かあったんかな?田園調布に住んで子供が4人とあの時初めて知ったよ。慌ただしく東京に帰ったけど?俺は相変わらず鈍感やったのかな?あの時、「何かあるの?よかったら話しくらい聞けるけど!」と何故言えなかったのかな?あの時から今まで数十年全くの音信不通?一生の友では無かったのかな?壊れ易い、砂上の楼閣の友情だったね!
息子さんが母に頼まれたので、と葬儀ではDear hearts and Gentle peopleを葬送曲の代わりに流していました。さすがだよ、素敵でした。ありがとう!何よりの別れの言葉だったよ!俺の時はJim Reevesで同じ歌頼むよ!と頼みたいが叶わずやな?今宵、酔っ払いながら口ずさんでいます。君も俺に合わせて歌ってくれてるかな?桐箱の中の動かない白髪の君は高校2年の時より美しく素敵だった。思い出したよ。学音主催のダークダックスのコンサートに高二の秋、仲間と一緒に行ったけどあの時本当は君だけをフェスに誘ったんだよ!淀屋橋から梅田迄歩きながら君となんか話したがなんも覚えていない。二人だけで行きたかった!のになあ?しか覚えていない。
二人だけでそう言えば出かけたことは無かったなあ?君を中心にみんなが集まってワイワイガヤガヤの青春やったなあ!高校時代、二人っきりになる事はなかったね。当時、本当は二人きりでお喋りしたかったけど、、、
ふたりだけの初めてのお出かけは、大学卒業後だったね。突然、電話がかかってきて京都に行こうよ!と、デートの誘い?と聞いたらウフフと言いながら、弁当作るから!ウフフ、と。雨の京都の植物園、傘をさしながらベンチで食べた君の手作り弁当美味しかった!最初で最後のデート。そういえば、あの頃加山雄三の「君といつまでも」が流行っていた。加山雄三を真似て🎵死ぬまで君をはなさいぞ?🎵とおどけていったとき、君はなんか、悲しそうな顔していた。
帰りに飲みに誘った。ロイヤルのセラバーで、生ハムが乗ったメロンとオールドパーのロックを飲みながら思いきってプロポーズしたけど見事な討ち死にでした。それから、風の便りで君が結婚したと知った。そして、次に会ったのは10年後の同窓会。それが、最後だった。生きた君にあったのは!
「おい、M子死んだ。明日通夜、明後日葬儀。家族葬らしい。」とFからの電話。
出会えて良かったよ。本当にそう思う。楽しかったなあ!青春やったなあ!
通夜も葬儀も辞退しようと思ったけど、行って良かったよ。カミさんは俺の2泊3日の東京行きを、何も言わず、何も聞かず快く送りだしてくれました。言わなくてもよかったが「俺の片思いの、だけど初恋の人なんや?」
お別れでも終わりでもないよ。魂は生きている。アホやなあ!と言ったら「その大阪弁大嫌い!酷く怒ったなあ?」「お前、なにやってんだよ。アホやなあ!なに、考えてんねん?時間よ戻れ。戻ってくれ。好きだったよ!
おやすみ、いつ会えるかな?また逢おうな。」]]>除夜の鐘http://kanreki040.exblog.jp/32911717/2022-12-30T07:54:00+09:002022-12-30T17:32:03+09:002022-12-30T07:54:07+09:00kanreki0401日々のなにげない出来事「新年だ!お年玉だ!」2022と無邪気に喜んでいました。 大阪の下町、私が生まれた4軒長屋の近くには古いお寺がありました。あの頃は父も母も若かったし、兄3人姉一人と少し年が離れた末っ子の私長男は北海道大学在学中だったので休み以外はほとんど家にはいなかったが、姉を含めて4人兄弟は一部屋で雑魚寝状態で湯たんぽを抱えてせんべい布団にくるまって除夜の鐘を聞いていたころを大晦日には思いだします。今年は除夜の鐘を聞けるのでしょうか?餅つき大会は不衛生だと禁止になり子供の声がウルサイと保育園建設は反対、公園での声を出しての子供の遊びは禁止、中・高の野球部の練習では声をださずに無言・・・・。そして究極のクレームは除夜の鐘がうるさいと・・・?何が面白くて生きているのでしょうか?とぼやいています。新聞か雑誌からの受け売りですが教会の鐘は「カーン、カーン(Come=来る)」と鳴りお寺の鐘は「ゴーン、ゴーン(Gone=去る)」と鳴る。日本人の無常観は鐘の響き「ゴーン」と深い関係があるのではないか?この一年、それぞれの「悲しみ」があり、「喜び」があったでしょう。独り言に付き合い癒してくれる友が「葡萄のお酒」か、「お米のお酒」麦か、芋か、はともかくしみじみと「去る」の「ゴーン」に耳をすませたいと思っています。大晦日の夜、日付が変わると同時に停泊中の船から一斉に鳴り出す霧笛は埠頭 のそばにお住まいの方にはおなじみでしょう。あらたまの年へ漕ぎ出す夜更けには波止場の「ボーー=Born(生まれる)と聞こえるのでは?Rechard Gere says:"Tomorrow is never promised, so today、I want all my friends and familyto know how thankful I am that all of you are in my life." 皆様への今年最後のメッセージはリチャードギアから借り受けました。みなさま良いお年をお迎えください。]]>友の訃報http://kanreki040.exblog.jp/32900971/2022-12-15T18:31:00+09:002022-12-15T18:31:26+09:002022-12-15T18:31:26+09:00kanreki0401日々のなにげない出来事
疎遠になり消息も途絶えがちになりました。
生存確認の意味の年賀状のやりとりもいつの間にかなくなってしまいました。
そして昔の友人の「訃報」が相次いで告げられるようになりました。
]]>スティーブジョブス最後の言葉STEVE JOBS Last Wordshttp://kanreki040.exblog.jp/32574340/2022-02-13T21:07:00+09:002022-02-13T21:07:06+09:002022-02-13T21:07:06+09:00kanreki0401折々の記
スティーブジョブス最後の言葉 STEVE JOBS Last Words
スティーブ・ジョブズ最後の言葉。【Steve Jobs Last Words】 - YouTube
私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。
他の人の目には、私の人生は、
成功の典型的な縮図に見えるだろう。 しかし、仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。
人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた
人生の単なる事実でしかない。 病気でベッドに寝ていると、
人生が走馬灯のように思い出される。私がずっとプライドを持っていたこと、
認証(認められること)や富は、
迫る死を目の前にして
色あせていき、何も意味をなさなくなっている。 この暗闇の中で、生命維持装置の
グリーンのライトが点滅するのを見つめ、
機械的な音が耳に聞こえてくる。神の息を感じる。死がだんだんと近づいている。。。。今やっと理解したことがある。人生において十分にやっていけるだけの
富を積み上げた後は、富とは関係のない
他のことを追い求めた方が良い。
もっと大切な何か他のこと。 それは、人間関係や、芸術や、
または若い頃からの夢かもしれない。終わりを知らない富の追求は、
人を歪ませてしまう。私のようにね。 神は、誰もの心の中に、
富みによってもたらされた幻想ではなく、愛を感じさせるための「感覚」
というものを与えてくださった。
私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)
一緒に持っていけるものではない。私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。 これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと
一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるもの
あなたの道を照らしてくれるものだ。 愛とは、何千マイルも超えて旅をする。
人生には限界はない。行きたいところに行きなさい。望むところまで高峰を登りなさい。全てはあなたの心の中にある、全てはあなたの手の中にあるのだから世の中で、一番犠牲を払うことになる
「ベッド」は、何か知っているかい?
シックベッド(病床)だよ。 あなたのために、ドライバーを誰か雇うこともできる。
お金を作ってもらうことも出来る。
だけれど、あなたの代わりに病気になってくれる人は
見つけることは出来ない。物質的な物はなくなっても、また見つけられる。しかし、一つだけ、なくなってしまっては、
再度見つけられない物がある。人生だよ。命だよ。手術室に入る時、その病人は、まだ読み終えてない
本が1冊あったことに気付くんだ。「健康な生活を送る本」あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、
誰もが、いつか、人生の幕を閉じる日がやってくる。 あなたの家族のために愛情を大切にしてください。
あなたのパートーナーのために、
あなたの友人のために。 そして自分を丁寧に扱ってあげてください。
他の人を大切にしてください。]]>当たり前に感謝http://kanreki040.exblog.jp/32517569/2021-12-10T21:46:00+09:002021-12-10T21:46:12+09:002021-12-10T21:46:12+09:00kanreki0401日々のなにげない出来事